プライバシーの侵害として、従業員が名札の着用を拒否する
窓口業務を担当している社員に名札の着用を義務付けようとしたところ、氏名権やプライバシー権を侵害するものであると主張する社員がおり、名札を着用してくれません。
会社側は、その従業員に名札の着用を義務付けることはできますか?
業務命令として名札の着用を義務付けることは可能である
会社側は、名札の着用を拒否する社員に対して、業務命令として名札の着用を義務付けることができます。
「名札の着用義務付け」の適法性を検証するにあたっては、
①氏名権の侵害にあたるか
②プライバシー権の侵害にあたるか
③職務命令による個人の自由の制限が不法行為を構成していないか
について検討する必要がありますが、これらにはあたらないというのが基本的な考え方です。
氏名権の侵害にあたるか?
氏名権とは
最高裁は
「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである」(最判昭63・2・1判夕662号75項)
として、氏名権を法的権利として認めています。
そして、この権利の具体的な内容については、
- 氏名を正確に呼称される権利
- 自己の氏名を独占的排他的に使用できる権利
などがあると考えられています。
裁判所の見解
ここでは氏名権に、「自己の氏名の表示を強制されない権利」が含まれるのかが問題となります。
これについて裁判所は、
「氏名の表示が経済的な利害に関係することもあり得るから、個人が自己の氏名を冒用されたり、誤って表示されたりして経済的、精神的損害を被った場合には、いわゆる氏名権の侵害として不法行為の成立する余地があるというべきである」
とした上で、
名札の着用拒否については、個人が自分の正確な氏名を表示させるということの是非が問われているのであって、氏名の冒用や誤った表示がされる場合とは異なり、「プライバシー保護関連の問題とは別として、『したくないことは不当に強制されない』という行動の自由以上に、氏名権として独自の保護に値する要素があるとはいい難く、結局、かかる行動の自由が不当に侵害されるかどうかという観点から考察すれば足りるものというべきである。」
と判示しました。
プライバシー権の侵害にあたるか?
名札の着用を義務付けると、それはプライバシー権を侵害するとの主張を受けることがあります。
裁判所の見解
前記東北郵政局事件判決は、
「氏名は、身分関係の公証制度としての戸籍に記載される公証力ある名称であり、専ら公的な事柄であるというべきであり、したがって、氏名が一般の人に未だ知られていない事柄であるということはできない。しかも、一般人の感受性を基準にした場合、氏名を公表されること自体を欲しないであろうとは認められない」
と判示し、さらに、
「一般的には、氏名の表示がある行動と関連づけられるために、その行動自体にプライバシーの要素がある場合には、氏名を表示させられると、結局プライバシーの侵害につながるということはあり得る。例えば、町中を歩いている時に氏名を表示すれば、その前後を含めた行動内容のプライバシーにかかわることになるから、原則として、他人に氏名を表示させる義務はないといえる。しかし、本件では、飽くまでも、職務との関連において自己の氏名を表示することが義務づけられているにとどまり、私的な行動との関連においてまで同様の表示が義務づけられているわけでない」
「また、少なくとも、勤務中、氏名だけを表示するという態様にとどまる限り、職務上氏名を表示することにより、結果として、当該職員の私的な行動にまでその影響が及ぶということも想定し難い。したがって、本件においては、氏名の表示によって、侵害されるべき個人的なプライバシーは、やはり存在しないといわざるを得ない」
と判示しました。
職務命令による個人の自由の制限が不法行為を構成していないか?
氏名掲示の意義
最近では、多くの会社が接客を担当する社員に名札を着用させています。
その理由として、対外的には
身分・氏名などを明らかにすることにより、信頼感や親近感を感じさせ、サービスの向上を図る目的
があり、対内的には
社員の職務に対する責任と自覚、社員間の親睦を深める、また職場の秩序を維持する目的
があると考えられています(東北郵政局事件・仙台地判平7・12・7労判692号37項参照)。
職務命令が違法行為を構成するケース
仙台高裁は、
「一般に、民間会社の従業員であれ、公務員であれ、職務上の指揮命令関係に服する場合には、もともと多岐にわたる法令ないし就業規則やこれを根拠とする具体的な職務命令に従わざるを得ず、その限りにおいて、職務中において本来の行動の自由が大きく制約を受けることは性質上やむを得ないものというべく、加えて、具体的な職務命令の内容については、事業の運営が基本的に使用者側にゆだねられていることとの関連において、相当の裁量性が存することも無視することができない。してみると、かかる職務中における職務命令による行動の自由の制限が不法行為を構成するのは、その制限の目的、必要性、態様、個人に対する影響等の諸要素を総合勘案した場合に、当該行動の自由の制限が社会通念上も許容し難いほどに著しく合理性を欠く場合に限られるというべきである。」(東北郵政局事件・仙台高判平9 ・8・29労判729号76頁)
と判断し、不法行為が成立するのは例外的な場面に限られるとしました。
また大阪高裁も、
「職務命令による個人の自由の制限が不法行為を構成するのは、その制限の目的や必要性、態様、個人の被る不利益の程度等諸般の事情を総合勘案した結果、個人の自由の制限が社会通念上使用者の裁量の範囲を逸説し、著しく不合理な場合に限られる」(郵政省近畿郵政局事件(大阪高裁平10・7・1414労判751号76頁))
と判示し、東北郵政局事件とほぼ同様の趣旨の判断基準を示しています。
名札の着用義務付けは違法行為を構成するか?
これらの検討を経たうえで仙台高裁は
名札の着用を義務付けることにより、氏名の表示を強制することに正当な理由がないとはいえない(東北郵政局事件)
として、名札の着用義務付けは不法行為には該当しないと結論付けました。